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600通が育んだ愛 昭和46年(1971年) 交際7年目 第五章 さまよえる愛 山形県藤島町 列車は朝の六時過ぎに新潟に到着した。 るりの座っている寝台車に乗り込みるりと逢った。 るりは僕が隣に座ったのを見て「まあ!」と驚いた。 それからの鶴岡までの時間は本当に楽しかった。 車窓に現れる日本海の荒々しい波しぶきや、薄暗い空の色、海と空の境が分からない 灰色の世界をるりはじっと見詰めていた。 るりにっとて、文通を始めて六年間、ずっと思い描いてきた雪国の風景だった。 想像以上に厳しい風土だと感じたようだった。 昼前に鶴岡市に着いた。 るりの服装は赤いロングのコートとロングブーツ、髪は肩まで軽くウエーブがかかっていた。念入りに着てくる服を考えて選んできたことが窺えた。 欲目とは十分わかってはいるが、僕にはるりが鶴岡では、垢抜けて見えた。 るりは周りで話す方言が全く分からないと言う。 「んだのオ」くらいかな?と笑った。 このブログは 月〜土曜日 朝8時15分に更新します。 ランキングに参加させて頂きました。 更新の励みになりますので、宜しかったら1日1
600通が育んだ愛 昭和46年(1971年) 交際7年目 第五章 さまよえる愛 山形県藤島町 るりからは母の強い反対について、 「自分が果たせなかった夢を自分に押し付けているんじゃないか?」 と思っているようだった。 「とにかく自分の手元におきたい。」と。 でも自分にとって、アナタは父母よりも大切な人。 自分がここで負けたら 一生後悔すると思う。 今本当の意味で親離れをしようとしている。」 るりは12月29日土佐山田を14時10分に出発し、大阪発22時13分発の寝台急行 「北国」に乗り込んだ。 母娘の葛藤はひとまず、るりの実行で休戦となった。 僕は金沢から「北国」に乗り込んだが帰省客が多くデッキに立ちん坊で夜を 明かした。 扉の隙間から入る雪や風の冷たさで、片足ずつ交互に立っていた。 るりは寝台車に横になっていても、僕が同じ列車に乗っていると思うと、 一睡も出来なかったと言った。 このブログは 月〜土曜日 朝8時15分に更新します。 ランキングに参加させて頂きました。 更新の励みになりますので、宜しかったら1日1クリックお願い致します。
600通が育んだ愛 昭和46年(1971年) 交際7年目 第五章 さまよえる愛 山形県藤島町 12月16日 るり 218通目 山形についに行けることになった、29日発の切符が手に入ったと手紙が来た。 高知を午後に発ち大阪から新潟までの寝台特急「北国」に乗る。 僕はそれまで三越のお歳暮配達でアルバイトをしてお金を貯めることにした。 僕が金沢まで行って同じ「北国」に乗って鶴岡を目差すことにした。 しかし、僕は満員列車の立ちん坊、るりは寝台車と別れ別れで過ごすことになる。 12月22日 るり 219通目 「山形行きのことを両親と話しても、話せば話すほど意見が分かれ、責め合い 結局惨めになるだけ。 両親から祝福される恋愛をしようと思っても、遠いから 駄目だという。 無理に山形に行くのなら家を出て行く覚悟をしろとまで 言われた」 しかしるりは 「家を出されるのならそれでも良い。でも私は山形に行く」と書いてある。 自分から家を出るつもりはないが、親が出て行けというのなら、それも仕方ない と決心したと言う。 こうと決めたたら強情で、頑固なるりの一面がまた表
新緑の季節 連休は急に思い立って山形県に6体ある即神仏のうち、 2体(湯殿山の大日坊瀧水寺、注連寺)を見てきました。 で、その翌日 藤沢周平の小説に出てくる 金峰山(山形県藤島町付近)に立ち寄りました。 とても小さい山ですが、登山なんて滅多にしない私は徒歩で片道1時間はかかったかな。 まっ、今日は、ずっと仕事と雑事ばかりで大変に疲れている私、、、 色々書くのが億劫なんで失礼しますね。 イオンシャワー?と森林浴をご一緒にどうぞ(-ι_- )クックックッ
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